消えゆくY染色体の運命 
−Y染色体をもたない哺乳類の研究−

北海道大学大学院
大学院理学研究院 生物科学部門

黒岩 麻里 教授




 私たちヒトを含む哺乳類は、X染色体を2本もつXX型だとメス(女性)に、X染色体とY染色体を1本ずつもつXY型だとオス(男性)になります。Y染色体をもつとオス(男性)になるのですが、それはY染色体上に性を決定する遺伝子が存在するからです。また、Y染色体には精子の形成に働く遺伝子など、オス(男性)にとって必須な遺伝子が存在しています。
 Y染色体はとても重要な染色体ですが、X染色体に比べて大変小さい染色体です。XとY染色体は、もともとは一対の同じ染色体だったのですが、哺乳類の進化の過程でY染色体の一方のみが遺伝子を失い、小型化しました。現在もY染色体の遺伝子消失は継続していると考えられており、いつか、Y染色体は消えてしまう、とも言われています。Y染色体が消えてしまったら、オス(男性)はどうなってしまうのでしょうか?
 この疑問を明らかにするために、私はトゲネズミというとてもユニークな哺乳類を研究しています。トゲネズミ属のうちの2種は、Y 染色体を失っており、性決定遺伝子も完全に消失していますが、オスがうまれ繁殖しています。この講演では、哺乳類におけるY染色の役割や進化、また、トゲネズミ研究で明らかになった最新の知見についてご紹介します。
 

 

えっ、半分、捨てちゃうの?


東邦大学・理学部 

久保田 宗一郎 教授

 高等動物は、体を構成するどの器官・組織由来の細胞でも、核内の染色体数(DNA量)は基本的に同じですが、幾つかの生物群では体細胞と生殖細胞の間で細胞あたりの染色体数やDNA量が大きく異なる現象が知られています。この現象は、発生初期に2つの細胞系列が分化する過程において、始原体細胞になる割球から染色体(染色質)が失われることによって生じ、染色体放出(染色質削減)と呼ばれ、線形動物や節足動物など先口動物のみで確認されていました。
 1986年Kohnoらは、脊椎動物無顎類に分類されるヌタウナギ目のヌタウナギにおいて、後口動物では初めてこの現象を観察・報告しました。以来これまでに観察された同目8種全てで染色体放出が確認され(ある種では7割を越えるDNA量が放出され)ています。更に、この仲間は主に染色体まるごと放出しますが、種によっては一部の染色体末端部分を切断して削減すること、失う染色体は主にヘテロクロマチンで、その中身は多様な高頻度反復配列のモザイクであることが明らかになっています。
 近年、私たちは次世代シーケンサーを用いて、ヌタウナギの生殖細胞ゲノムと体細胞ゲノムの全配列をそれぞれ決定しました。その比較解析により、この種の生殖細胞特異的、すなわち放出ゲノムの同定を現在進めていますが、これまで全く想定されていなかった現象も明らかになりつつあります。今回、 Kohno の報告以来35年に及ぶヌタウナギの研究について、今後の展望も交え概観します。

 

ゲノム編集で染色体を可視化


鳥取大学・乾燥地研究センター 
石井 孝佳 講師 

 
 ゲノム編集技術としては、2012年に発見されたCRISPR / Cas9システムが科学界では認知されている。これはCas9タンパク質のハサミ状の特性を利用して、任意のDNAを切断することで様々な研究に利用するものであった。このCRISPR / Cas9 を利用して、ゲノムの配列を光らせる新たな方法RNA-guided endonuclease - in situlabellingRGEN-ISL)法を開発した
 DNA配列を染色体(ゲノム)レベルで可視化する一般的な方法としては、過去30年間、蛍光in situハイブリダイゼーション法(FISH法)が幅広く使用されてきた。しかし、この方法はゲノムDNAの変性(二本鎖のDNAを一本鎖に乖離する事)が必要なことから、試料の構造に損傷を与えることが問題であった。また、蛍光させた特定のDNAを注入しても、試料内に存在する同種のDNAを特定するまでに相当の時間(約1日)が必要であった。CRISPR / Cas9システムを応用することで、従来のFISH法の蛍光標識特性をもつが、DNA変性を不要とするRGEN-ISLCRISPR-FISH法を開発することに成功した。この、RGEN-ISL法によって、特定ゲノムの時空間における構造(三次元的な追跡)を観察できるようになった。

 

AIによる染色体解析
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染色体にもSociety 5.0?-


岡山大学・資源植物科学研究所 
長岐 清孝 准教授 

 Waldeyerが1888年に「染色体」をはじめて観察して以来、130年以上にわたり、多くの細胞遺伝学者(染色体の研究者)は、顕微鏡を覗き、目視で染色体を探し、手動で撮影してきました。近年の顕微鏡の解像度の向上および自動撮影機能の発展により、研究者は「小さなビックデータ」ともいえる大容量の画像ファイルを手にすることができる様になってきましたが、この「小さなビックデータ」の解析は、多くの場合、人手によって行われています。
 最近、この様な大量の画像データを解析する手法として「人工知能(AI)による機械学習」が注目されてきましたが、これを利用するためにはデータ科学の知識が必要か、それを要しない解析ソフト・システムは非常に高価で、庶民的な非データ科学者の細胞遺伝学者が安易に「ちょっと機械学習させてみようか?」と手を出すには敷居の高い状況でした。
 そこで、私たちは、画像の機械学習が科学以外の分野で「顔認識」や「自動運転」のツールとして利用され始めた潮流にのり、アップル社がプログラム開発者向けに提供しているアプリケーション(無料)と安価なアプリケーションの組み合わせにより、非データ科学者が使い慣れた一般的なアプリケーションと同様の操作方法のみで利用可能な解析システムを構築しました。
 本講演では、このシステムを用いた染色体画像の解析例と「このシステムの相互利用による染色体関連の知の拡張」、いわば「染色体のSociety 5.0」の可能性についてお話しします。